ればあとは各人

昨日は義姉と長女が仏事で同席していたが、待ち時間に3人でおしゃべりしていた。
わたしと義姉の考え方は一部、水と油であるが、立場が違う。
わたしは一歩引く。
鬱憤は溜まるが、まあその場が終わればあとは各人、自分の家に帰る。
帰りの車の中で長女に愚痴ったところ、長女は実に素晴らしいコメントをしてくれた。

「同じ出来事があっても、各人のフィルターがかかっている。
その場にいて見聞きした場合と、延々と聞かされていた場合では、受け取り方も違う」
確かに。その通り。
長女にカウンセラー料を支払いたいぐらいだ。

そして結論。
一家に主婦は2人いらない。
主婦はエライので、1人で十分。

主婦といっても色々。
世の中に出たこともない、出る必要もない、能力と環境のせいで出られなかった、逆に、出たくなかったのに出された、、、
なんでもいい、むしろ、どうでもいい。
自分の考え方を色んな角度から検証する必要がない人は、ある意味、羨ましい。
ただただ恨む、とか、ただただねじ伏せられる、とか、ただただ言うことを無理やりきく、とか、その逆で、強制的に人を自分の思い通りにさせる、だとか、それはそれでひとつの行動である。
だが、そういう人は、自分にも人にも、その二択しかないんだろうなあと感じる。
それはそれで、その人と、その人の周りが幸せに暮らしていたら、何の問題もないし、口を出す必要は全くない。

だが、一歩、その自分のテリトリー(家庭?)から出た時には通用しない。
実家なら通用するのかも知れないが。