らぬが仏とはこのこ

彼は修学旅行で皆んなで景色の素晴らしさを共有するより、自分一人で(苦労して)登った、自分だけの景色は何にも替えられない感動があるという。
皆んなでわいわい、皆んなで夕陽、皆んなで朝陽、皆んなでCEF 課程、、、
わたしは、あんまり、そういうタイプではない。
それもわたしのキャラ。
人それぞれ。

何を残すでもない。偉業もない。
先日、亡くなった親戚のおばあさんの家族葬、司会者の紹介は、「多くの孫子たちに恵まれた幸せな一生を送られました」のようなことを言っていた。
それしかないのか?

人の人生を簡単にくくって欲しくないが、本人はもう生きていないから、何を言われても知らぬが仏とはこのこと。
葬式なんてそもそもそんなものだし、家族なら皆んなそれぞれの胸のうちは推測できるだろう。

家族葬であろうがなかろうが、多くの人が故人を悼むために自主的に集まるのは自然な流れだとは思う。
だが、まだわたしは自分のなかでクリアしていない部分があるから、また今後、見解が変わるかも知れない會計軟件比較

もう一つ、NHK TVの「プロフェッショナル」で旋盤職人(85歳)が紹介されていた。
ご本人を「歩」に例える。「王」ではない。
「歩」が歩む「歩の人生」。
一歩一歩、歩いて重ねていくしかない、と。
生活のため、食べるため、家族を食べさせていくため、、、。
深かった。
共に歩んで支えてきてくれた2歳年上の認知症の奥さんを、これからも(施設に入れず)手元で見守って行くと。
わたしのような自己チュー人間は、人のために身を削って尽くさず、そんな風に感謝されることは絶対にない。
熱いストーリーが好きなのは、わたしがクールだからだろう。
直近では、セリフが一切ない、ディズニー映画本編の前に出てくるショート動物アニメでさえ、涙。
言葉は要らない。
人間である必要もない

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