ランゲージを読み取

昨日、体育館のあるスポーツセンターに行った。
一度、そのセンターには人に連れて行ってもらったことがある。

今度は、別の人を連れて行く案内人として、わたしがナビゲーター役をした。

スポーツセンター近くまでは、覚えている。
でも、さらにぐっと近く、至近距離になると、記憶が曖昧になる。

えっと~・・・たしか、このあたりで、曲がったような・・・でも、次の筋だったかなあ・・・

自分だけならいいが、人を導くとなると、間違えてはいけないというプレッシャーが、のしかかる。

確実路線を取り、ぐるり大回り、スポーツセンタ周辺を約一周したところ、
お連れした人に、「えらく遠いんですねえ」と、素直な感想のなかに、げんなり疲労感漂うボディランゲージを読み取った。
弱ったなあ・・・と思いつつ、
目立たないものの、ちょこんと貼ってある「→スポーツセンター」の小さな標識を見つけ、
おお、間違ってはいなかった・・・と、ほっとした・・が、・・・・。

その一角にあるであろうセンターが、見つからない。
→矢印に沿って、ぐるぐる回る。
ぐるぐる、延々とぐるぐる、いつまでも、ぐるぐる、は、わたしの得意技だ。

だんだん、お連れさんが、わたしではラチがあかないと判断したようで、
通行人に「スポーツセンター、どこですか?」と聞き始めだした。

連れて行った人に聞かれては、わたしの沽券にかかわる(そんなもの、あるのか? Too small)
わたしも負けじと、広場に面して立っている建物から出てきた年配の男性に、尋ねた。
「スポーツセンター、どこですか?」(にっこり笑顔)
「さぁ~。知らんねえ」(浮かない顔)
と、おじさん。

近いはずなんだけどなあ・・・

次に広場のど真ん中にある駐輪場に、とめていた自転車を取りに来ている女性に聞いてみた。
自転車に乗り、地元の駐輪場を利用しているのだから、近隣・地元住民であることは、間違いない。
「スポーツセンター、どこですか?」(この人なら、絶対、知っている。自信満々)
彼女の反応は・・・
「さぁ~・・・知りませんねぇ・・・」

(なに? このおばさん、・・・
わたしが、知らないと答えているのに、「そんなはずないでしょ?」みたいな不満そうな顔して詰め寄ってきて)
彼女の顔に、そう書いてあった(ような気がした)。

次世代に反発されるだ

しかし、墓を建てた時、自分が入るスペースを考えずに建てる段取りになっているのだろうか。
その後、入る人が増えたらどうなるのか?
霊園側の意向を聞きたい抖音商城
あまり墓事情には詳しくないので、そのあたりがよくわからない。
まだ一人もお墓に入っていない墓を購入した人も何人か知っている。
墓に入る人は誰ひとり亡くなっていない。
自分の墓を自分で用意。
昨今は、子供世代にとっては、親は親の墓を新たに買わないでほしいと願うこともある。
あるいは、遠くの、行きにくい墓を近くに移すケースがある。
霊園がよく墓の移転誘致をPRしている。

終活の一環として、家じまい、墓じまい、、、今の高齢の人々はそういう流れになっている。
シーラカンスどころではない夫が聞いたら頭から火を吹くだろう。
わたしは、何も家や墓を終わらせる、とは言っていない。意向もない。
今はそういう考え方をする人もいるご時世に移りつつある、と言いたいだけだ。
いきなり怒り出して頭から否定するのではなく、世の中の動きや流れを知るのは悪くない。
知った上で自分の進む道を決める。
何も世の中の流れに迎合しなくても良い。
逆行するのも一つの道。
なのに、あのカチンコチンは何だろう。
全く聞く耳を持たない。突然、激昂する。キレるのは病気の一種か。
選択肢を持った上で熟考し、考えを再確認、肯定して選び取るのが良いと思うが、選択肢すら与えない、頭ごなしは、次世代に反発されるだけだ。
誰も面倒な火種には触れない。なので、ほっておく增強免疫力補充品
優しく受け入れそっとしておくのではなく、諦めて放置する。


だが、自分が他界した後のことまでは、見聞きして確認できるわけがない。
次世代は、それより前の世代の背中を見る。
それでどうするかを決めてもらうしかない。

夫婦のどちらかが亡くなった時、はっきりした動きがあることは確かだ。
同時に他界したならまた話は別だろうけれど。
あるいは、老親が認知症で判断実行能力がなくなっていたら、子供が代わりに決めて進めるしかない。

ちなみに、自分のお墓を生きているうちから建てる生前墓は縁起が悪いとされていたが、近年は寿陵と呼ばれているようだ。
夫と同じ墓に入りたくないという妻もいる。
現世だけで十分、あの世は別々でお願いします、ということだろう。
その選択肢は自分の永眠間近まで持っていたいものだ。(永眠しなくても、認知症で判断能力がなくなるギリギリまで)
その後は、知る由もない。
お疲れ様でした、である漂白牙齒

ションに住むことにな

書きたいことが思い浮かばない時は、、、他のブロガーさんの記事を読む。

ちなみに、わたしのブログに開設間もない頃からよく訪れていただくブロガーさんがいる。
その人が住んでおられる地域にはなんとなく懐かしい思いがある香港移民加拿大

わたしは40年ぐらい前に東京に2年間暮らしていた。
結婚したばかりで、東京で第一子(長女)を妊娠、出産し、彼女が1歳になるまでいた。
(出産は、里帰り出産)
世田谷区の静寂な住宅街にあるマンション。
立地は芦花公園駅から徒歩5分ぐらい?
成城も近くにあり、付近の神社や公園にも行った。
(上記ブロガーさんの記事内にも懐かしい地名が時々出てくる)

夕方になると、芦花公園駅から隣の千歳烏山駅の途中まで、ベビーカーを押して散歩した。
夕暮れの、静かな住宅街のなんとも言えない静寂を感じていた。
ごく近所には漢方製剤老舗T会社の創業者一族のお宅と蔵があった。
(行ったことはないけれど、敷地が広いから隣接する場所も多い?)
わたしが駐車場で住居の鍵をなくして途方に暮れていたところ、そこに駐車していた誰かの車が移動して出て行ったら、その車の停められていた下に、鍵があった日本簽證
やれやれ、、、という思い出がある。
その困り果てた駐車場から見上げた場所が、創業者宅の蔵だったような、、、。
おぼろげな記憶だが。
また、学生時代の同級生(実家も婚家も大阪)が、目黒に住んでいて、遊びに行ったことがある。

わたしの結婚が決まった時、夫のいとこが住んでいる芦花公園にあるマンションに空きが出たと知らせてくれ、そのマンションに住むことになった。
いとことは別の階だったが、毎日、いとこの家に遊びに行っていた。
当時3歳と幼稚園児だった、いとこの子供たちはもう立派な大人になっている。
何年か前に、いきなりTV番組で(当時3歳だった)彼の大人になった顔を見た時にはびっくりした。
画面を見て、こんな顔になったんだ、、、と、想像は出来た。
名前もテロップで出ていたが、彼の名前だった。
大きくなるものだ。
後日、親戚のお葬式(お互い、親戚は共通)で会った時、幼い頃の話が出た。
彼は3歳だったにもかかわらず、わたしと部屋で遊んだ、マッチ棒を使った立体図面の遊びの様子を覚えていた。
これには、またまた驚いた。
幼児といっても覚えているものだ。


東京は、バブル景気、前夜。
当時、マンションを買った、いとこの仕事仲間が大儲けしていた。
いとこも、別に儲けるつもりではなかったとは思うが、たまたまバブル崩壊前夜にマンションを最高値で売り抜け、ラッキー。
世の中には、幸運を掴む人と、逃す人がいる。
わたしは、いつも儲け損ねる派。
あの時、ああしていれば、、、とタラレバで、悔し涙を流す、欲深い人間。
損をしたと嘆くより、得をし損ねたと嘆くほうが、より欲どしい。欲張り。

バブルは崩壊し、土地神話はガラガラと音を立てて崩れ落ち、、、、
言うまい、タラレバ悔し負け話。
命まで取って行かない生腎石

け何度も深く傷つい

世の中には、口から先に生まれたような人がゴマンといる。
わたしの周りにも、そんな人は多い企業禮品
思わず口から出てしまうホンネが一番こたえる。

ごめん、スミマセン、と言われても、それはホンネであって、口に出すか出さないかだけの違い。
思っている、感じていることには違いない。
そのホンネをずばっと言われたら傷つくことがある。

ある趣味仲間の人、Aさんは、いつも考えずに感じたままを口にするので、わたしはどれだけ何度も深く傷ついたか。
わたしの他にも傷ついた人がいて、言われたことが原因でその人は趣味サークルを辞めた。
それもあって、Aさんとは距離を置くことにした。
腹黒くはない、思ったことをそのままま言うだけで、悪い人ではないのだが、わたしも自分が傷つくのは避けたい。
どんなことを言えば相手が傷つくのか、想像力が欠如していた。
わたしはその度に悲しんだ。
わたしが傷ついたことだけはAさんはわかるようだが、どうして傷ついたのか、何に傷ついたのか、どの言葉に傷ついたのか皆目見当もつかないようだった人民币国际化
いずれお天気の話ぐらいしか話さず、その他は何も話さなくなった。
Aさんは社会の話題やその他の話題もまるで興味がなかった。
どこに傷つくポイントが隠されているのかわからないまま、会話を続けるのはお互いリスキーなので中身のある話はしなかった。
つまり、表面上はトラブルが発生しないが、内面的には関係性が破綻している。
そんな期間をある程度過ごして、離れるタイミングをずっと待っていたが、やっと顔を合わせることを回避した。
いやはや、大変だった。
人と付き合うには、距離感が大事だとつくづく思った。
これはうまくいかない経験をした後、いつも思うことなのだが。
人間関係は本当に難しい。
まして、他人なら尚更泌尿科檢查

てもいいだろうとい

重病や危篤のお年寄りの親戚がいると、気が気でないが、
今のところ、まだ、どなた様も、そのような兆しはないし、
去年、親戚が3人、次々とこの世を去ったのでhifu 效果
もう、ここ当分は、お葬式に出席しなくてもいいだろうという、わたしの読み。
とは言っても、わたしの母を含め、関係者一同、親戚は、お年寄りだらけ。

ひょいひょいと、合間を縫って、行くしかない。
もし、何かあれば、事前からフライトチケットを安く手に入れていてもキャンセルとなり、
高い飛行機代を払うことになるが、そんなことは言ってられないだろう。

時が泥の如く滞る、世の中で起こる事件の被害者もおられるなかで、
自由に移動できる身軽さは、いかにありがたいことか。


わたしのような、お気軽人間が、もし、周りにいたら、さぞ、鬱陶しいだろう、と
いつも、行動は、忍者のごとく、こっそり、忍び足だ。
でもなぜか、バレる去皺紋

今回も、家族と実家以外には、誰にも言わなかったのに、
いつもの行動範囲内で、長期、顔を出さないと「旅行?」と聞かれる。
「ううん、ちょっとね」とか、「病気だったの」とか、「母が病気で」とか、
「娘のところに行っていて」とか、
ごまかす事はできたのだろうけれど
ウソまでついて隠すのは、どうかと思って、
何人かの人に、聞かれるままに本当のことを言ってしまった。

その相手は、直接、パリにいるわたしのケータイに、電話してきた人だったり、
(本人は国内だと思ってかけてきている)
「今日、お宅に伺いたいんだけれど、何時ごろ、ご帰宅ですか?」
という問い合わせだったり、
ふつうの市民生活を送っていると、ごまかしが、ききにくい。

だが、皆さん、自分を持っておられる方が多いので、そんなに驚かれることはないのが救い。
会話や挨拶のひとつ。
一人旅というと、少し、びっくりされるようだけれど、深いツッコミはないし、
わたしも、一言、それで、オシマイ。
わぁわぁしゃべるのは、あまり好きでない。

と、延々、しまりなく、話が続いて、終わりそうもない光子嫩肤
外も明るくなってきたし、そろそろここで、終わります。

する室温の好みを常

ちなみに、体感温度や音、明るさの感覚の違いはどうしようもない。
暑い寒い、うるさい、明るすぎる、などなど、脳を通さない感覚的嗜好の、まさに文字どおり、温度差根管治療
立派な人、崇高な人、慈愛に満ち溢れた素晴らしい尊敬できる人、であったとしても、私生活で同じプライベート空間を共有する室温の好みを常時、強制されると、ブチギレる。
一歩も歩み寄らず、だ。
戦禍の防空壕の中なら我慢もしよう。
緊張のあまり、それどころではない。
平和が訪れ(と言っても、未来永劫には保証はない)、平和ボケすると、室内での快適性権利の奪い照MRI
時間や空間を工夫して、あまり一緒に過ごさなくなってやれやれ、ストレスは緩和されたと思いきや、たまに顔を合わせると、途端にストレスが襲ってくる。
これはもう末期症状ではないだろうか。
であるにもかかわらず、また事態は変化する。
それは、病気になって弱る時。
身心の苦痛や不安を取り省くことに全神経が集中され、暑い寒いどころではない。
その時は、互角に言い張り主張し合わない。
一歩も譲らず五分五分の元気な強気が、臨戦状態、火種の元だ。
力の均衡が崩れたら、意外に副作用として、逆に闘争が収まる。妥協、休戦。
自然な崩れ方か、力づくの強制的崩れ方か、それは誰も今の時点ではわからない。
勝ち負けは、意図して決着が付く場合もあるが、結果的に自然の成り行きで勝ち負けが決まることがある。
まあ、焦らず長い目でみよう。
まだまだ天国まで時間はたっぷりある健康檢查計劃

たばかりの孫の嫁)に

おばあさんのタイプによっては、色ボケとは違う分野の作り話をするケースがある。
若い頃の武勇伝をまだ付き合って間がない人(例えば結婚したばかりの孫の嫁)に、延々と話す。
が、横で苦笑いの還暦を過ぎた実の子供腋下去黑
「おばあちゃんにはそんな事実は無いのよ。
自分で信じて話を盛るの」と後でそっと新人嫁におばあさんの「盛り癖」を打ち明ける。
古い家族、皆はもう知っている。
だが、笑ながら皆んなそっとしておく。
武勇伝ならまだ勇ましくて良いが、色系はどうも聞くに耐えられない。
まあしかたない。

昔できなかったこと、憧れていたこと、抑圧されていたことが理性のタガが消滅した後に出るのか。
あるいは、昔ルーティーンワークで行っていたことを急に脈略なく、し始める人もいる激光脫毛
突然、仕事に行く、と家を出たり、
子供を迎えに行く、と言ったり、
ご飯の支度をし始めたり。
脳に強烈にインプットされていることが、突然、何かの接触によって稼働するのだろう。

温和な人が怒り出すこともあり、こうなると、昔との因果関係はもはや関係なくなる。
脳は本人の意思とは裏腹に、制御できなくなるようだ。

それとは別に、戦争や災害でこころを病むことがある。
幼い子供だと尚更深刻だ。
カウンセリングが必要で、自力で治癒は困難だ。
穏やかな毎日を安らいだ気持ちで過ごせることは本当に有難い遺傳性乳癌