タマを下げる必要性

母はバリバリ働きものだった。
労働するために生まれてきたような、前世は馬車馬か?
昭和一桁生まれの戦中派なので、戦争を知らないわたし世代のようにヘナチョコではない。
サボっている時間は爆睡している時ぐらいか?
だが、自我キャラクターが強烈で、強欲、直情型で協調性がなかった。
お山の大将で、折れなくてもいい環境にいたため、人にアタマを下げる必要性はなかった。
自分一本やり、自分中心に世界は回っていた。
幸せで結構なことだ。
精神的ストレスはないだろうAmway 傳銷
だが、人に好かれていたかというと、嫌われてはいないが好かれもしていないかも知れない。
嫌われていなければ上出来だ。
家族以外には。

家族であるわたしは、激情、ヒステリーの嵐、、、神経にビリビリカンカン痛く刺さって精神摩耗が激しく、大嫌いだった。
更に父は超真面目?優秀働き者人間なのは大いに素晴らしいが、短気を絵に描いたような癇癪持ちだったので、いつも家ではわたしはビクビクしていた。
鞭打ちではなく、父の舌打ち生活にわたしは息も絶え絶えだった。
家の外に出ると落ち着いた紐崔萊
家庭ではこころが縮んで硬くなって安らげなかった。

高校以降は、小学校からずっと同じ学校の親友Yちゃんの家に入り浸っていた。
Yちゃんのお父さんは大型船(タンカー?)の船長で、年に数回、自宅滞在する期間があるが、あとは外国の洋上にいた。
大黒柱オヤジが居ない家は、開放的で好き放題の勝手したい放題だった。
Yちゃんには弟がいて、弟の友達とも顔を合わせることがあった。

弟は自堕落な子だった。
友人たちも似たり寄ったり。
だが、時間が来ると「勉強の時間だから」と後ろ髪を引かれながらも引き上げる友人男子もいた。
彼は数年後に医学部受験を控えていたように思う。

まあ遊ぶ子は遊び、律する子は律し、Yちゃんの家ではいろんな自堕落生活が送られていた。
Yちゃんの母親は、戦後没落した人種のようで、シニカルな価値観を持っていた。
幼少時代「お嬢様」と自分のことを呼んでいた、それまで仕えていた人々に、ある日、突然、「あんた」と呼ばれたショック。暗転。
それが彼女の人生のベースになっている。
「結婚はビジネスよ」が彼女の口癖profhilo逆時針
在宅期間が終わり、父親が家から出る瞬間に、見送る側の家族の顔がガラリと変わった。
ある意味、可哀想なお父さんである。
が、本人は、突然、フェイントで後ろを振り向かない限り、皆の顔の激変には気づかないから、幸せといえば、幸せだ。
大なり小なり、父親に対する家族の思いは底流には共通するものがあるかも知れない。
知らぬはオヤジばかりなり。
世の中には知らないほうが幸せなことは、いっぱいある。
最も身近な、羽を休める家庭でさえ。
人には人の家庭があり、首を突っ込む筋合いはない。