違う場所になるが

歴史の物証として当時の記録の実物、ホンモノを見せられると力強く訴えるものがる。
データもさることながら、そのモノずばり、物理的に残っているものは雄弁に語る。
自分自身は歴史とはまた別のところで生きているから、日本史とは違う場所になるが。
歴史が作られた当時の、その他大勢の一人ではある醫學美容
自分が生きた証は、一番わかりやすいところでは、DNAの継承。
無から人間が創造された。
それだけでも十分だ。

長男を産んだ時、わたしの全ての使命は達成されたと感じた。
あとは余生である。
が、長男、、、といっても、世の中の流れというものがあり、、、
後継は長男とは限らない。
(次世代、皇室後継も保留のままだし)
血が繋がっている人とは限らない。
あとを継がない選択だってある。
立派に負の遺産清算する役割の代だってある。
何でもScrap & Bildで、歴史は繰り返される美容優惠
戦争がその最たるものだが、愚行は人類のDNAに刷り込まれているとしても、絶対に避けたい。
平和な市民デモ隊が銃撃を受ける国もある事実。
その様子が毎日のニュースで否応なく流れて来る。
ぺらぺらと解説したりコメントしたり、自分は安全な場所にいて対岸から無力さを露呈するだけなら、何も書かないほうがいいのだろうか。

と、断捨離には残酷な側面がある。

その一方で、平和な断捨離、、、さて、わたしの断捨離。
まだここ当分は引越ししないから、切羽詰まってない。
しかし、だんだん、モノを遺すということはどういうことか、身をもって体験し始めているpico 去斑