長々と時間を使う贅沢

わたしは、どちらかというと、嫌なことを嫌だと言えない性格。
ずいぶん前に、そんなタイトルの、精神科医が書いた新書を買って読んだことがある。
自分に当てはまるところがたくさんあったのだろう。

何が書いてあったのか、忘れた。
わたしは、すとんとこころに落ちて問題が解決したら忘れるタイプ。
脳のキャパが小さい。
そのかわり、解決していないものや、タスクは、ごちゃごちゃ脳に混ざり込んで、へばりついているatlaspace 共享辦公室
一掃断捨離できる日は、記憶喪失病にかかった時か、認知症のいよいよ山場、クライマックス、天国手前の時かなあと。

その時は、走馬燈のように次から次へと過去の記憶が蘇るだろうか?
意外と映画のワンシーンばかりだったりして。
だとすると、アタマがまだマシな間に、良いものに触れるのはいい。
当たり前か。

美しいもの、美食、映画、音楽、芸術(あ、これはムリ。難解なものは理解できない)、、、
といっても、わたしごときの喜ぶレベルは、たかが知れている。
そこらへんの歌謡曲だったり、簡単に観れる映画だったり、、、
商業主義に乗らされている、小さなささやかな文化を享受する大衆の一員。

オペラやミュージカル、本場のナマのステージやコンサート、ナマの会場でのスポーツ観戦など、別に、というか、全然、必要ない。
わたしは、気持ちよくなると寝てしまう。
睡魔といういたずら魔法をかける、悪魔だか天使だか知らないが、なにしろ、その魔法にかかってしまう。
気持ちよくなくても、緊張の場面でも寝てしまう。
脳がシャッターを下ろすのだろう訂造USB
だが、このわたしの脳は、お天気屋で、気分屋なので、わたし自体が自分を持て余している。
まあ、自分脳とは長年の付き合いなので、優しく暖かく見守っている英國留學