何回も訪れたことが

母の実家、今も手が入りキレイにしてある。
幼い頃、母の実家にはお正月や法事などで何回も訪れたことがある。
半世紀以上経っても未だにしっかり間取りや雰囲気を覚えている抗衰老

作業場、農具小屋、前庭、敷地内菜園、蔵、母屋、せんだい(庭)、、、
土間にある台所、浴室、トイレ、、、水回りは少し切り離されている。
台所とは土間続きの別室の食堂。
仏間は田の字型に続く畳部屋にあり、法事の時などは、襖を取り外し、何部屋か続けて開放的に広々使う。
田舎の伝統的な美しい日本家屋である。
どの家もそういった造り、体裁、配置になっている。

母には2人の兄以外に、10歳上の姉と、10歳下の妹がいる。
母を含め女性は3人とも結婚して家を出ている。
母の妹は、親が大反対した恋愛結婚をした。
認めてもらえず実家の敷居をまたがせてもらえなかったpico 去斑
だが、子供が2人出来て、ある程度大きくなってからやっと出入りを許された。
しかし、酒豪揃いの嫁の実家は、飲まないお婿さんには肩身も狭く、いつも叔母の夫は、わたしたちの女子供テーブルに静かに小さくなって座っていた。
叔母は理数系女性で職業的にも経済的にも自立し、専業主婦ではなかった。
キビキビした現代風の女性だった。
母のようなダンプカー的な胆っ玉だけで押し通すタイプではなく、ちゃんとした専門分野を持っていた。
そのせいかどうかは別として、旦那さんは優しい雰囲気を漂わせ、静かで大人しかった。
ヒモ的な要素があるのかしらんとわたしは勝手に思っていたが、後年、聞くところによると、ちゃんとしたマトモな職業を持つ、ちゃんとした社会人だった。

と、話は逸れている。

母の実家の思い出話。
幼い頃から見ている母の実家ではあるが、誰も居なくなった今も、外から見るとキレイに整っている。
少し前に、その前庭でいとこ(次男)に会ったが、整然としていた。
その時は大きな犬を飼っていて、家(敷地内)は整えられていた。
几帳面な性格がうかがい知れた。
あのいとこも、もういない、、、。
一人一人、いなくなる去暗瘡印 方法

確実に存在する

しかし、今も自分の考えに同調させたがる男性は確実に存在する。
同じような女性もいる?(あまり知らないが)
わたしの知っている男性のほぼほぼ100%は、自分の意見を押し通そうとする。
たまたまなのか?
それとも、わたしがなんでもハイハイと頷くタイプだったからなのか?
従わせやすい?

男性を立てる女性など、今時シーラカンスかも知れない。
自分に力がないから、奥の手を使っているのかも知れない。
わたしは、超超超、時代遅れの女性である包包面
たまたま生まれつきの性質なのか、環境のせいなのか、はたまた生きる知恵なのか。
いずれにしても、時代錯誤感があるのは否めない。
男性というものは立ててこそ力を発揮する。
が、踏みつけられても力を発揮する。
どっちみち、力を発揮する。

と同様に、女性も褒められて伸びる。
けなされても、悔しさをバネに頑張る。
どちらにしても、頑張る。

みんな頑張っている。
それにしても、、、優しそうで柔軟性のありそうな男性でも、必ず立てなければならない、、、と、わたしは思っている。
なぜなら、立てると、力以上の力が出てくるように思う牙痛原因
(逆に、ジェンダー価値観を押し付けられ、役割期待感に耐え切れず押しつぶされる人もいるが)
男性が女性に対して優越感を感じている部分が、 DNAにまだ残存しているように感じる。
(今の若い人はさておき)
歴史の流れから見ると、女性解放運動、ウーマンリブからまだ50年ぐらいしか経っていない。
女性の参政権が認められたのは昭和21年だということを今、調べてみて知って驚いた。
明治時代後半ぐらいかとタカを括っていた。
そんな最近だったとは、、、!!!

男女雇用機会均等法は1987年施行、、、というと、まだ35年しか経っていない。
意外や意外、ほんの少し前のことだったのか。
そうなると、男女平等、女性の自立、社会での活躍は、長い歴史の時間の中では最後ラストのちょっと期間。
原始時代から生きている人間の DNAは、そうそう短時間に急激に書き換えられない。
しかし、直近の出来事で全てがオセロゲームのようにひっくり返ることもある。

ちなみに、高齢少子化の波は、もはや波などというものではなく現実である。
中国やインドなどの人口が多い国は、強い。
マンパワーは有力な資源である。
円安で日本買いが進み、不安を抱いている。
バブル時、外国の土地やビルを買い漁っていた日本が、、、変われば変わるものだ。
日本は先進国だと安心している人に警告。
発展途上国ではなく、衰退途上国だと表現する人もいる黑眼圈消除

もウサギではない

だが、一つ、難点がある。
つい最近、ある人に言われた。
わたしはサボりだと。
もっとやれば、もっと出来るのに、やらない。
現状で満足してしまう。
言い得て妙、その人は、ぴたっと、わたしそのものを言い当てた。
わたしの人生そのもの。
努力しなくてもそこそこ備わっているため、努力しない。
自分を磨かない。
わたしは、まさにそれなのだ。
亀に抜かれるウサギではあるが、そもそもウサギではない比堅尼脫毛
白鳥かも知れないのに、アヒルの中にいるほうがずっと快適。
かといって、ある日、突然、白鳥にはなれない。
努力を放棄しているので、元白鳥で、ちょっと大きいアヒルだ。
ヒルでも白鳥でもない、化け物かも知れない。
ヒルの着ぐるみを着た白鳥?
ヒルの着ぐるみを着た白鳥だと思っているアヒル
白鳥の着ぐるみは元々着ていない。
ヒル群に属する。
だが、アヒルの中では部外者、白鳥の中でも部外者。
アイデンティティは、アヒルでも白鳥でもなく、行ったり来たり彷徨い、バランスをとりながら二本線で歩んで行く。
逆に言うと、アヒルでもあり白鳥でもある。両方。
なので、両極端で真ん中がない。
振り子のようだ。


ジキルとハイドもそんな感じなんじゃなかろうか。
人を一面的に見ても、片手落ちだ。
表裏一体、短所は長所、光の当たり方で良くも悪くも見える腋下去黑
これは特別でもなんでもなく、ごく普通によくあることで、皆さんの一般的な日常だと思う。
自覚しているか、していないか、だだそれだけの違いかと考える。
そんな自分が好きか嫌いか、にもよる。
嫌いな場合、認めたくない、認めない。
複雑に何面も何層もあるのが、人間。
そんなめんどくさいことは大嫌いだと無視する人もいる。
それはそれでよい。
色々だ。


書けば書くほど、つまらなくなってきた。
いま、突然、閲覧数の神様は、わたしのブログから後ろ姿を見せて消えて行ったと感じた。
べつにそんなことは、もういいのだ盆腔超聲波檢查

幾つにも細分化さ

まずは、お礼というかなんというか。
蝶ブログをお褒めいただきありがとうございます。
二人(だけ)で盛り上がっているのも悪くないとは思うものの、、、。 
ちょっと閉ざされた、closeメンバーになりますが、嬉しいです。

このcloseメンバー同志は、人数は膨らんでいかない。
メンバーはお互いで、合計2人。
closeで完結している。
お互い、両手を繋いでいる。
片手なら、どんどん輪が広がるのだが腋下脫毛
だが、closeの相手は一人ではない。
別に何人も、それぞれcloseの相手がいる。
多くの人と自分の全体(総合)を同時に共有しているのではなく、自分を幾つにも細分化させ、各パーツ同士で繋がっている。
総合商社ではなく、専門店みたいなものか。
専門店が集まり、何かを為す、作る、産む。
全体相関を図で表すとわかりやすいと思い、紙に描いてみたが、よけいわかりにくくなった。
さらに文章を加筆すると、ますますわかりにくくなったhifu 機

まあ何しろ、わたしは複数の人々と同時にコミュニケーションを取るのが下手である。
というか、出来ない。
難儀な不器用人間だ。

ではあるが、closeであろうが解放されようが、相手をとことん応援する。
頑張って欲しい、活気ある日々を送って欲しい、楽しくイキイキやって欲しい。
他意はない。ただ、単純にそう思うだけだ。
遠くから送ったテレパシー、届いたかな?

で、話はころっと変わる。
変わりすぎて、別の記事にしたらよいとは思うが。
まあよい。

最近、メル○リでの「ドレス」熱はひと段落し、代わりに、「骨董品」ファンになっている。
設定済みの検索カテゴリーは、骨董品。
毎日毎日、色んな品々がアップされる。
30年ぐらい前に実母からもらった新品コーヒーカップ&ソーサーが売られているのをつい最近、見つけて、びっくり!
ありゃまあ、、、。
1客13500円ぐらいだったか?
5客あるから、13500✖️5=67500円?
まあこれはメル○リでの売値だから、あくまでも参考に。
わたしは売る気も買う気もなく、たんなるお遊びで見ている。
この陶磁器は、1995年の阪神淡路大震災で、姉が貰った分は全部割れたそうだ。
うちのは、ほぼ新品、キレイなままである。
震災当時は、貰ったまんま開封せず、1客ずつ桐箱に入れられた状態でそれぞれ保管していたので、難を免れた。
使ったのは、娘達の学友達がうちに遊びに来た時と、娘(長女)婿のご両親がお見えになった時。
あとは飾って楽しむだけ。
コレクションである去水腫穴位

ないということになる

老若男女、けっこう、いっぱい。
この展覧会、スタートしたばかり、まだ1週間なのでかどうか知らないが、人気があるようだ。
超?有名作品「真珠の耳飾りの少女」は、貸し出しは、これが最後だとか。
見納めというわけか。
あとは、オランダ?バーグにあるマウリッツハイス美術館に出向かないと、見られないということになるようだ。

いつものごとく、オーディオ ガイドを借りたが、声の出演、スペシャルガイドは、武井咲だった。
まあまあまあ???どこにも、この人、ほんと、ひっぱりだこ脫毛 邊間好


小さい子供が、長蛇の列に並ばされて、かわいそうだった。
表情に、「不服」、「不満」、「不機嫌」、「イヤ」の気持ちを思いっきり、たたえて、気の毒だった。
あんな小さいと、見えるのは、ぞろぞろ並ぶ大人の腰ばかりではないだろうか。

特に、「真珠の耳飾りの少女」の展示された部屋は、一部屋まるまる、蛇状の、うねうね長い人の列。
「肩越しにご覧になりたい方は、そのまま列に並ばず、お進みください」という係員の説明だったが、
せっかく来たのだから、並んだ。
田舎モンは、こういうとき、がぜん、忍耐力をパワフルに発揮する。

ちっちゃな、真珠の耳飾の少女は、明るい強めの人工の照明を浴び、光のコントラストが際立って、
ますますキラキラ輝いていた。


「小さいうちからホンモノを見せておくのは、いいことよね」と、熟年のご婦人が仰っていたが、
わたしは、とても複雑な心境だった。
長時間、じっと待った後に、楽しいアトラクションが待っている、ディズニーランドならいざ知らず、
同情してあまりある。
あんなおチビに、なにがわかる?
???そういうリアクションのわたしは、やはりニセモノ育ちの、ニセモノ人間なんだろう荃灣女牙醫

居留地のエリアにある、神戸市立博物館。
帰りは、古い重厚な建物を利用した、ブランド?ショップの並ぶ旧居留地を歩いて、ぶらぶら。
ヴィトンのショーウインドウが、とても印象的で、思わず、カシャッとケータイとデジカメを向け、撮影。
田舎から出てきた、おのぼりさんは、いつも、カメラをスタンバイしている。
あたりかまわず、写真を撮る。


じつは、この美術館のごく近くにクライアント先があり、わたしは仕事で、2年ほど、定期的に足を運んでいたのだが、
神戸市立博物館の場所をしばしば、通行人に尋ねられたことがある。
「ここをこう行って、ああ行って」とお教えした人が、同じ場所をぐるぐる回って、
困っておられる風景にも何度か遭遇したことがある。
道行く別の人にも、尋ねておられたところも、目撃したこともある。
わたしは、自分が方向音痴なんだから、人に、道を教えてはいけない、と、深く深く、反省した次第だ脫毛學生

に近づいていて、笑

少し過去のわたしに、笑わせてもらった。
少し過去のわたしは、とても遠くの近未来のわたしを想像して書いている試管嬰兒費用
書いた日から時は過ぎ、まだ近未来の老婆のわたしにはなっていないものの、たった2年で自分の想像した老婆に近づいていて、笑った。
えらいぞ、わたし!
なかなかクールでシュール、現実的な想像をしている。

雨戸の開け閉めにかかる「2時間」を、雨戸を開け閉めしないで使う、、、その発想が面白い。

夫の実家のリフォーム後、雨戸は今はタイマー予約で開閉される。
朝は6時?に(起きていないから目視していないが)開き、夜は20時に、ざざざーと閉まる。
スーパーの閉店時の如く。
中にお客さんがいても閉まる?
あ、もう20時か、と時間の接近に気づく。

前回、皆んなが来た後、予約通りに雨戸が開かないからどうなったかと夫が心配していたら、娘婿が気を効かして鍵をかけてくれたらしい。
鍵がかかると、開かないシステムになっているBB轉奶粉
無事、鍵を開けていつも通りに、人が居ようが居なかろうが雨戸は開閉される。
高倉健主演の映画「幸福の黄色いハンカチ」のように、安否確認の役目はないが、まあ効率的ではある。
居ても居なくても、生きていても生きていなくても、故障しない限り雨戸は永遠に開け閉めされるって、、、雨戸の開閉が仕事のスタートと終わりだった昔のおばあさんたち、生活の始まりと終わりだった皆さんは、どう感じているだろう。

しかし、リフォーム後はいたって快適ではあるが、新品ピカピカの真っ白いキッチンは緊張すること、この上ない。
新品の傘を雨が降っても使いたくないかの如く。
使い易くなったころは、汚れ放題なんだろうなあ、、、。
この記事を読んで、あんなに新キッチンに気遣いしていた頃もあったのか、と、また近未来のわたしが笑うことだろう乙型肝炎檢查

に対してお礼の電話が

親戚から不祝儀お供えに対してお礼の電話があった。
我々夫婦は、日頃、潤滑なコミュニケーションが行われていないため、細かい報告を受けていないことが多い穴位按摩
電話は常に留守番対応設定にしているが、先日、「○○(夫の実家の地域)の○○(親戚)ですが、、、」と留守番電話から声が聞こえてきた。
こりゃいかん、電話に出なければ!と、急いで受話器を取った預防肝癌

「お供えをいただきありがとうございます」
そう受話器を通して、お礼を述べられた。
とっさに初盆にお供えいただいたことに対する、こちらからのお礼(粗供養)へのお礼かと思い、
「こちらこそありがとうございます。
わざわざご丁寧にお電話いただきまして」
と返答した。
すると「お家、リフォームされているみたいですね。
どなたか、お住みになられるんですか?」
と、いたっていきなりプライバシーの核心を突く質問を受けた。
わたしはどう答えていいのか返答に困り、
「うーーん、そうですね、、、住むというかなんと言うか、、、今のところは住まないです、、、」
と答えたかなぁと3D乳房造影。(はっきり覚えていない)

あとで調べてみると、その親戚Aさんは初盆のお供えをいただいていない人だった身體 去角質
とすると、去年にいただいたお供えにこちらがお返ししたこと(満中陰志)に対するお礼(ややこしい、、、)なのかなと思っていたが、どうやら違っていた。
つい最近、その親戚Aさんの高齢のお母さんが亡くなり、夫が香典を供えたという。
そのお礼の電話だった。

一年前のことを持ち出してそれを口実に、溢れる好奇心からリフォームのことを聞こうとしているのかと思ったが、そうではなかった。
いくらなんでも、そこまではしない、、、だろうと、自分の思い違いに照れ笑い。

しかし、夫の実家のご近所の皆さん、リフォームにかなり関心があるようで、じーっと立ち止まって見る人や、車を超低速にしてじっくり見ていく人、親戚のとある人を探している風を装って(本当に探しているかも知れないが)、毎日のようにズカズカ入ってくる人など(しかも数人、別々の人らしい)、強者揃い。
毎日、作業のためにリフォーム現場に通うリフォーム会社の担当者が、驚きながら話してくれた。

リフォームする時に、裏扉側の窓を設置するのをわたしが躊躇していた理由がわかったようだ瘦面方法
近所の人がどんどん勝手に入ってくるのだ。
だから、食堂の椅子に座っていると窓の外から頭が見えたりして、落ち着いて座っていられない。
座ってなくても、玄関に鍵をかけていてもいなくても裏に回り、人がホイホイ通るため、プライバシーが確保しにくい。
で、大きな窓をつけることにあまり積極的ではなかった產後通乳