参考に、軽井沢誕生譚を

(中軽井沢のハルニレテラスで毎年梅雨の時期に行われる「アンブレラスカイ」。この日、2019年6月10日はちょうど雨が降っていた。今年のアンブレラスカイはコロナ禍のため残念ながら中止とな
ってしまった。)

誰もが知っているように、「避暑地としての軽井沢の魅力を発見した」のは宣教師アレキサンダー・クロフト・ショーであるthermage

桐山秀樹、吉村祐美著「軽井沢の歴史と文学」を参考に、軽井沢誕生譚をまとめてみた。

軽井沢一帯は、軽井沢、沓掛、追分の中山道3宿をのぞき、長い間荒れ地だった。英国国教会宣教師アレキサンダー・ショーが、明治政府に招聘された教育者ジェームズ・ディクソンと共に軽井沢
を旅した明治19年も、そうだった。明治に入ってから江戸時代の幹線道路中山道とは別のルートで鉄道と国道が作られたため、3宿もすっかりさびれてしまっていたが、二人は軽井沢宿にひっそり
残る宿屋「亀屋」(後の万平ホテル)に泊まった英國買樓稅

実はこの二人以前に、多くの外国人が軽井沢を訪れ、その素晴らしさを記録に残している。ガイドブックまで作成したのが、日本史にもよく登場する英国公使館通訳アーネスト・サトウ滅白蟻推薦